BAZAARインタビュー [JG雑誌]

雑誌BAZAARの長いインタビュー記事ですが、大変でも

やっぱり ジュンギのインタビュー記事は 訳しがいが あります

ドラマが始まる前に こういう広報の仕方は 初めての気がしますねぇ

やっぱり 大手事務所ならではの 戦略の違いでしょうか・・・・

そして 韓国IMXからナムに 移った気持ちが よくわかります。
 
 
訳文ですが 本当にわかりにくい 表現があって 苦労してます
そして、 日本語として通じる様に 意訳の部分もありますので
 
少々 間違いがあるかもしれませんので
 
訳文のコピー 拡散は ご遠慮 願います。
 
あくまでも 個人の楽しみとして・・・よろしくお願いします。 
 
長文ですが お楽しみ下さいませ~(*´∀`*) 
 

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イ・ジュンギ、信じたい男
 
 


インタビューが終わった後私に刻印されたイ・ジュンギは自身を直視するのに恐れることがない男ということだ。 


過去と現在の比較でも、いつも難しいだけの視聴率でも、

昔の作品の中の自身の未熟な姿でも、

彼は惜しんでも避けはしない。 


彼には天運のような光栄を享受してみた人だけが体得できる自信、

その歓喜の時間をすぎたという物足りなさ、

だが、いつかは再び見せてしまうという覇気が激しく衝突して、

その跡が今イ・ジュンギの顔を作っている。

俳優自身の顔に道をつける人であることに明らかだ。 

何年間イ・ジュンギの顔はかなり劇的に変化していて、

その上絶妙にも彼の指向と歩みは 他の一人の男のそれと重なるためだ。 


‘一つの体で二つの人生を生き延びるように’する荒波の時代、

開花期に刃物(伝統であり自尊心)を捨てて銃(新世界であり勇気)を握らなければならなかった男.



歴史の本に通じて会った当時の民衆らと 

百年が過ぎた今 不明瞭な時局に向き合って

心を寄せるところない小市民皆に

‘勧善懲悪’のカタルシスをプレゼントする使命を帯びて

この土地に生まれた<朝鮮ガンマンが>の、パクユンガン話だ。



“昨年<ツィークス>後 次期作がロマンスやメローだったらと 思ったことも事実です。 


毎回 走って転がって 追われて苦労して しこりができている役割をして見たら 

30代男の 自然な魅力を見せることができるキャラクターも欲が出ました。
 

ストレスまで受け取って 作品を探している間<朝鮮ガンマン>に 会いましたよ。 


とても新しい服に執着する私が 

俳優としてしたいのでなく

大衆に見られる姿に こだわるのではないのかと思って 自ら失望して粘りましたよ。 


皆が ヒーロー物すれば イ・ジュンギを一番最初に思い出させる理由があるだろうし、

あるジャンルで誰かに認められるということも やはり意味が大きいはずなのにですね。 

特に <チョ洗顔マン>ならば新しいヒーローの姿を お見せすることができることという信頼できました。”



‘プランB’なしにイ・ジュンギだけを置いて書かれた台本は 数ヶ月の間 彼の選択を待ったし、

その信頼に 心を開け放したイ・ジュンギは喜んで合流した。 

彼と直接会ってみれば‘当時世相を反映したヒーローとして適格’という製作スタッフの信頼に共感を表わすほどの いくつかの 手掛かりを 得ることができる。 

史劇によく似合う容貌と声(かなり男らしい),

かなりのアクションはみな経験したとのこと(保身を図らない),

‘両刃の剣’のような感じ(悲劇と喜劇の感じを全部持った)まで。 

考えてみれば<王の男>を除いては 反抗児高校生の悔しさ<フライ ダディー>、

ドラマ廃人を量産したwell madeヌアル<犬とオオカミの時間>、

伝説のヒーローの話<イルジメ>、

現代社会でのヒーローの話<ヒーロー>、

絶対悪に対抗する一人の男の話<トゥウィークス>等ほとんどの どんな時代でも必要だったし、

夢見たし、

もしかしたら存在したかも知れない英雄話であった。 


混乱と失敗の重さを担って 果てもなく丘を上がるシーシュポスのようでも、

(パラム補足 ※ フランスのアミール・カミュの随筆で シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。

彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、

山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。

同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。

カミュはここで、人は皆 いずれは死んで 全ては水泡に帰す事を 承知しているにも拘わらず、

それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。)



あるいは 飴のような甘い世の中に‘1対1の対決’浮かび上がる若者の姿でも。



とにかく

イ・ジュンギは 現在の最高のコンディションで 6月末初放送を控えたドラマ撮影に 臨んでいる。


“数ヶ月の間 家に一人でいるようにして 


スタッフ兄たち、 姉、友達、弟(妹)がいる ものすごい現場に入ってきていれば 

とても強固で幸せです。 

一分一秒も 休む余裕がありません。 



共に 調和して 新しいものも聞いて 習うことになって。

 

作品終われば ストレスや負担感だけある空虚だということが 間違いなく訪ねてくるが、

新しい作品を始めたこの瞬間は  心よりときめきます。



”去る2007年<犬とオオカミの時間>以後

ナム・サンミと再会したという事実も 長いレースを控えたイ・ジュンギには 見えない力になる。 


“新しい俳優、特に女優と手足合わせるには 相当な時間と努力だと 聞きます。

 

ところでサンミは あまりにも親しいと、

そのような時間を 全て 作品のためにだけ使えます。 


二人の  すったもんだする調子をとる時は とりわけおもしろいです。



”その時 荒っぽい20代であった これらはいつのまにか 30代に なった。

“誰がなんと言っても 私たちがよく耐え抜いたんだね、 したいです。 

相変らず 若い血として 大きい作品の主演で会ったのは 自己管理が上手だったし、

嫌われなかったという証拠ですからね. 



<犬とオオカミの時間>をとる時には 幼い年齢で 主役を演じて 二つとも骨を折ったりもしましたよ。 

それでまた会った時 互いに にっこり笑うことができました。

”マニアを自任した私は <犬とオオカミの時間>を‘可能性’で記憶する。 

ブラウン管で 目撃したノアールの可能性、

そして <王の男>以後

ずっと 浮漂するようだった イ・ジュンギが再び 証明した可能性. 

顧みれば‘イ・ジュンギ症候群’は その由来を探せないほど すごかった。 

彼は 一人の現象だった。 

これは桑田碧海式のスター誕生ストーリーではない。 

(パラム補足 ※ 桑田碧海 = 桑の畑 が変化し 青い海に変わるという意味

    この世の移り変わりの激しさという意味を表す)


イ・ジュンギは数多くの社会、文化的談論の話題であった。


‘美しい男’に対するファンであることは‘クロス セクシャル’というトレンドにつながったし、

各種媒体では 変化した男性性に対する テキストを吐き出した。 

また‘男が美しくても良い’という事実を確認したファッション、ビューティー業界は

これを産業で拡張させた。

イ・ジュンギが 頭を素早く下げて話した。 

“本当に話にもならないということでしたよ。(笑い) とても驚くべきでした。”

そして このように付け加えた。

“クロス セクシャルが 何かも分からないまま 私が女化粧品広告までとったからです。”




当時ご両親の深刻だった反対 すでに知らされた事実で、

知人たちも 俳優の夢を見る彼に “そのことで暮らすことができるという 考えを捨てろ”忠告したりした。 

“不確かだったんですよ。  典型的なハンサム型でもなくて、ちょっと曖昧です。 

<王の男>だからなっただろう。 

ところで事実イ・ジュンイク監督様も 私を見て 傷つくようにされましたよ。 

カム・ウソン先輩も ものすごく反対して、

チョン・ジニョン先輩だけ あの子 何があるが? したそうだよ。 

監督様が 君は容貌は 脱落だが その才能のために 選ばれたと いわれましたよ。 

そして特命を おろされたのでしょう。 



今日から 皆 この子を どうにか可愛く見えるようにする方法を研究して!(笑い)

”私はコン・ギリ その非常に長い目元のためにだけ 成功的なキャラクターになったと考えはしない。

‘新人イ・ジュンギ’の演技力と 存在感は ベテランの間でも抜けなかった。 

とても 頂点から始まったためもあるだろうが、

彼が これという また他の頂点に至る姿を見せることができないことが唯一残念だったことも そのためがあった. 

世の中を ばっさり ひっくり返しておいた その時 その時期に 戻りたくないだろうか?

“時々考えはしてみました。 俳優で跳躍できる機会を 探していなければならないが、

その位置にだけ、人気にだけ 陶酔していたのでは ないのか。 




率直に演技だけ 見ようとするなら その時 ほめられた程度では 下手だと思います。 

私も変わったから。


だけど できなかったことは 次から 次へ浮び上がりますね。(笑い)

思い出が しようというのでなく より多いものが できたこと という物足りなさが 大きいです。 

だが、相変らず 私には機会が あるからです。 

このような心を 原動力としてしてみるつもりですよ。 

方法は 一つだけです。 

俳優の真正性を持って ずっと その道を 極めること。

焦燥感にならずに、こまめに。 ‘そのままイ・ジュンギを 認めてください’よりは‘私がした作品であるから 認めてください’でしょ 

多分 その作品が認められる日、私の新しい姿も 認められることが できるだろうと信じます。”


確かにイ・ジュンギの 歩みは 少しずつ変わっている。 

先に、彼は 韓流スターを集中的に管理するマネジメント会社から出て 

家族的な雰囲気で有名な ナムアクターズの 家族になった。


“俳優として もう少し発展する姿を 見せて韓流に 乗らなければならないが、

韓流に 閉じ込められているという 感じがありました。


会社が悪いというのではなく もう少しウィンウィンと したかったといいましょうか。


”また、何年か前のSNSに‘牛のように仕事をする俳優になりたい’という挨拶の言葉と共に 

挑発的 社会発言を 憚らなかった彼は このように話す。
 

“時代に 直接的に発言するのも良いが 見守る方法も 分からなければならなかったが、

それが かえって慰労になり得るのに…. 


考えてみれば 私は イ・ジュンギを このように見ることを願って、

そのような むだな考えが大きかったようです。 



顧みれば ちょっと恥ずかしいです 。

”描いても イ・ジュンギは多くのことを知るようになった。 


はやく 大人っぽくならなくなければならないことを 知って、 

カチカチに 閉じて 生きるということが 出来ることではない ということも分かって、

オウムになることより かえって しゃべるインタビューが さらに有益だとのことも分かる。 


すでに インタビューを始めて一時間半がふわりと過ぎていた。 



イ・ジュンギとの インタビュー中 唯一たくさん出た単語がある。 



大衆(ファン、視聴者、観客など) そして責任感.




“主演は 誰かが 切実に夢見ているかもしれない 大切な機会じゃないの。 

それで 前に 現場で どのようにすれば 能動的に遊べるか いつも悩みます。 

大衆、製作スタッフ、そして 私が どのように 疎通して共有しようか? 

私には それが責任感です。

”三時間 ずっと ダラダラ汗流して 歌って踊る、

コンサートを ほうふつさせる程の 

彼のファン ミーティング(今回は三月号惨事で取り消しになったが)も 責任感の一環だ。 




“ファンミーティングは そのまま愛しています、

行ってなく 全身で 愛を表現する席、

お互いに 良い気勢を 吹き込むことができる席です。 


この俳優が 好きで 支持して 共に年をとるというのが 幸せなように、

その時間を 少しでも 価値あるようにさせたいです。






”ふと イ・ジュンギの 変わった顔を また見た。 

責任感が このように 甘い単語になることができる との ことを 新たに分かったためだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがでしょうか?

やはり 彼は 俳優 イ・ジュンギを 極めたいと


切に願っている

ひとりの人間 でしたね。


そして

自分を 応援してくれる

ファンのありがたみ 大切さを

本当に 心から 感じてくれているって

心から 感じることができますよね。



韓国では IMXでは 限界が あったんでしょうね。

俳優としての道を

もっと 高みを目指して・・・・

今回の ドラマ

声だけ聞いていても

ジュンギの声は 本当に 時代劇にピッタリですね。

心地よく 耳に入ってきます。




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