真夏の贈り物 [ジュンギとの再会まで]
先日 ご紹介した 『釜山港に帰れません』という本に
釜山には、国連軍の戦死した兵士の墓があるという話が載っていました。
アメリカとか トルコの国旗がはためく墓地があるそうです。
日本には、他の国に守ってもらった(日本を守るために他の国の兵士が戦って亡くなった)という歴史が無いから こういう光景は、とても印象的だろうという言葉が、 とても心に残っています。
これが、この朝鮮戦争に関係する事なんだなぁって、理解出来ました。
そして、 ジュンギが出演している『生命の航海』を観た ジョンソンチェ中佐様のレビューが国防日報に上がっていて、この本の事に繋がりました。
(ジュンサにて記事を知りました。ありがとうございます)
元記事 コチラ
한여름에 받은 크리스마스 선물
真夏に受けたクリスマス贈り物
“戦争があった。 そのまん中に人がいた。
浜辺にあった国連軍は離れた。
浜辺にあった避難民らも離れた。
もう浜辺もなくなった。”
このように60年前の6・25韓国動乱(朝鮮戦争)を芸術に昇華させた‘生命の航海’ミュージカルは重く始まった。
だが、時間が流れるほどその航海は蒸し暑い夏の日の感動的なクリスマス贈り物に近づいていることを感じる。
すでに決まった歴史の運命が彼らの肩をたたいていた。
メロディスビクトリー好意‘ラル’船長は米軍が航海士および機関士らと議論後決定しろといったが、彼はよどみなく乗ることができるだけに避難民らを乗船させろと指示する。
灰色空ぎっしりと飛ばすボタン雪以上で多くの避難民、
ギネスブックに登載された1隻の船が最も多い人員を焼いたという、1万4000人をそれこそ‘イワシのせるように’乗せたし5人の赤ん坊が生まれた。
奇跡の歴史はこのように始まった。 戦争を季節で表現するならば残酷な冬だと考える。
腹がへった心まで凍ってしまって凍死なのか、餓死なのか区分にならない状況の中で
60年前の今日を歌っている現役俳優イ・ジュンギとチュ・ジフンの顔で誰かの犠牲が、
いや無数の昨日の死体が今日という贈り物を私たちにプレゼントしたという考えてみる。
‘生命の航海’を観覧しながら私の考えを貫いたことは
米軍と‘ラル’船長の偉大な決定を可能にした“ある人が一人でできない仕事をする場合助けてあげなさい”という米国船員らの格言を彼らが一生懸命実践したということだ。
最後に、私はミュージカルを始める前に次のような案内放送が出てきたらと思って期待した。
“観覧客中 朝鮮戦争参戦した勇士、その家族がおられれば立って下さいますか?
そして国土防衛に献身している現役将兵があれば全部席から立ち上がって下さい。
今 私たちがこのように朝鮮戦争の一部門だった奇跡的な興南(フンナム)撤収の話をした便宜ミュージカルで鑑賞できるのもすぐに この方らの崇高な犠牲で 今日の誇らしい大韓民国を守ったためです。 この方らに 皆 同じく力強い拍手を送りましょう。”
朝鮮戦争についての本を読んでいると、ほとんど悲惨なエピソードばかりで・・・
このメロディスビクトリー号の感動的なエピソードはたぶん、とても例外的なものなんじゃないかと思います。
アメリカでは朝鮮戦争は「忘れられた戦争」という評価が定着してしまっているようで、たぶん、このエピソードも関係した方々を除いては覚えている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。その点で、韓国とアメリカではギャップがあるんじゃないかと思いますが。
by dopv (2010-09-14 02:48)